1.リシュリュー Richelieu
起工:1935年10月22日 進水:1939年1月17日 竣工:1940年6月15日
建造所 ブレスト海軍工廠
1940年4月1日 工程95%の状態で就役
1940年6月18日~23日 ブレストからダカールに回航。6月18日に独軍機の攻撃を受け被爆、損傷
1940年7月8日 ダカールにて英水雷艇及び艦載機の攻撃を受け被雷、浸水。以降修理作業及び浸水軽減のため艦周囲へコッファーダムの建造を開始
1940年9月23日~25日 ダカールにて英艦隊と交戦し被弾及び主砲の爆発事故により損傷
1940年12月下旬 コッファーダムが完成
1941年2月28日 修理完了し、コッファーダムを撤去
1941年4月 ダカールにてレーダー搭載工事を実施
1942年11月8日 連合軍のトーチ作戦により、自由フランスに参加
1943年1月25日~1月29日 回航前公試で1940年7月以来初めて自力航行
1943年1月30日~2月11日 ダカールからニューヨークに回航
1943年2月18日~10月14日 米ブルックリン海軍工廠にて修理兼対空火器増強工事を実施
1943年10月14日~10月下旬 ニューヨークからアゾレス諸島経由でメルス・エル・ケヴィルに回航
1943年11月上旬~11月24日 メルス・エル・ケヴィルからスカパ・フローに回航。英本国艦隊に編入
1943年12月上旬 Type284P射撃レーダーの搭載工事を実施
1944年2月10日~2月12日 ポストホーン作戦(独戦艦ティルピッツ誘引作戦)に参加
1944年3月中旬~4月10日 スカパ・フローからアルジェ、アデン経由でトリンコマリーに回航。途中機関故障によりアデンで修理するも改善せず。英東洋艦隊に編入
1944年4月16日~4月下旬 コクピット作戦(サバン攻撃)に参加。日本軍機と交戦
1944年5月7日~5月27日 トランサム作戦(スラバヤ攻撃)に参加
1944年5月27日~5月29日 コロンボに回航
1944年6月19日~6月23日 ペダル作戦(アンダマン諸島攻撃)に参加。トリンコマリーに回航
1944年7月22日~7月27日 クリムゾン作戦(スマトラ島攻撃)に参加。サバン港を艦砲射撃
1944年9月6日~1944年9月23日 トリンコマリーからアルジェに回航
1944年10月1日~10月10日 アルジェからトゥーロンを経由してカサブランカに回航
1944年10月10日~1945年1月23日 カサブランカにおいて艦底清掃及びレーダー搭載工事を実施。機関修理も実施するも改善せず
1945年1月23日~1月25日 カサブランカからジブラルタルに回航
1945年1月25日~2月中旬 ジブラルタルにおいて艦底清掃及び機関修理を実施
1945年2月下旬~3月20日 ジブラルタルからトリンコマリーに回航。英東インド艦隊に編入
1945年4月8日~4月20日 サンフィッシュ作戦(サバン攻撃)に参加。サバン港に艦砲射撃
1945年4月27日~5月8日 ビショップ作戦(アンダマン・ニコバル諸島攻撃及びラングーン上陸)に参加。カー・ニコバル島に艦砲射撃
1945年5月11日~5月18日 デューク作戦(日重巡羽黒及び日駆神風邀撃)に参加。日軍機と交戦
1945年7月上旬~7月18日 トリンコマリーからディエゴ・スアレス経由でダーバンに回航
1945年7月31日~8月10日 ダーバンにて機関修理及び対空火器増強工事を実施
1945年8月10日~8月18日 ダーバンからトリンコマリーに回航
1945年9月7日~9月16日 ジッパー作戦(マレー半島進駐)及びタイドレース作戦(シンガポール進駐)に参加。9月9日にスマトラ島沖で触雷、損傷
1945年11月20日~11月27日 Mapor作戦(ニャチャン進駐)に参加
1945年12月29日~1946年2月11日 トリンコマリーからトゥーロンに回航
1946年2月下旬~3月上旬 北アフリカのフランス軍引揚げに従事
1946年3月上旬 トゥーロンからシェルブールに回航
1946年3月16日~7月20日 シェルブールにて修理
1947年2月~3月 ブレストにて副砲改造工事(仰角引上げ等)を実施
1947年8月~9月 シェルブールにて修理
1949年4月1日 予備艦となる
1950年1月1日~1951年10月24日 シェルブールにて改装工事(機関、対空火器換装等)を実施
1951年2月 砲術訓練艦に指定
1953年10月~1954年2月 シェルブールにて改装工事(射撃レーダーの換装等)を実施
1956年1月30日~1967年9月30日 モスボール工事を実施後、宿泊船として使用
1967年9月30日 除籍
1968年1月16日 廃艦Q432に改名
1968年9月 スクラップとして売却後、解体
2.ジャン・バール Jean Bart
起工:1936年12月12日 進水:1940年3月6日 竣工:1955年5月1日
建造所 ペノエ造船社サン・ナゼール造船所
1940年5月~6月18日 フランスの敗色濃厚となったため、自力航行可能な状態とするため工事促進
1940年6月19日~22日 サン・ナゼールからカサブランカに回航。出港時に触礁及び独軍機の攻撃により損傷
1940年8月~9月 カサブランカにて2番砲塔バーベットの閉塞及び対空火器設置工事を実施
1942年4月~5月 対空火器増強工事を実施。三角測量法による主砲射撃管制システムを構築
1942年10月~11月初旬 対空火器増強及びレーダー搭載工事を実施
1942年11月8日~11月10日 カサブランカにて米艦隊と交戦し(トーチ作戦)被爆、被弾し大破着底
1942年11月11日~1943年2月15日 カサブランカにおいて浮揚作業及び修理
1943年4月 自由フランスがアメリカに回航して修理及び建造作業再開を米側に打診するも拒否される。以降空母化を含めた改造案が検討される
1945年8月25日~8月29日 カサブランカからシェルブールに回航
1945年9月21日 戦艦として建造再開することが正式決定
1946年3月11日 ブレスト工廠にて建造再開
1949年1月8日 就役(工事未了箇所多数)
1950年11月~1955年5月1日 残工事を実施(主砲塔のモスボール工事も併せて実施)
1956年8月~9月上旬 2番主砲塔の再活性化工事を実施
1956年10月26日~11月15日 スエズ動乱に参加。ポートサイドを艦砲射撃
1957年7月11日~7月19日 最後の訓練航海。以降宿泊船として使用
1961年1月1日 予備艦となる
1970年2月10日 除籍。廃艦Q466に改名
1970年5月21日 スクラップとして売却後、解体
3.クレマンソー Clemenceau
起工:1939年1月17日
建造所 ブレスト海軍工廠
1939年9月28日 WW2開戦による労働力減少の影響で、リシュリューの建造促進のため建造中止
1939年12月6日 建造再開
1940年6月10日 工程10%の状態で建造中止。のちドイツに接収され、"戦艦 R"に改名
1941年 ドックを解放するため、建造再開
1943年6月11日 進水。ブレスト港の潜水艦基地の防護船として使用
1944年8月27日 ブレスト港外にて米軍機の攻撃を受け被爆、沈没
1948年2月23日~ スクラップとして売却しようとするも、買い手がつかず。航路の障害であるため、1948年9月に海軍自身が浮揚して移動させるも船体破断により再度沈没
1951年8月1日 スクラップとして売却後、解体

最終更新日:2023/12/29 17:35