1.ペトロパブロフスク Petropavlovsk
起工:1892年5月19日 進水:1894年11月9日 竣工:1899年10月Петропавловс |
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建造所 | ガレルニ島造船所 (サンクトペテルブルク) |
1899年10月~1900年5月10日 | 義和団事件発生に伴い、サンクトペテルブルクからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1904年2月8日~2月9日 | ポート・アーサー在泊中、日艦隊の攻撃を受け被弾、損傷 |
1904年4月13日 | ポート・アーサー港外にて日本艦隊と交戦中、触雷・爆沈 |
2.ポルタヴァ Poltava
起工:1892年5月19日 進水:1894年11月6日 竣工:1899年Полта́ва |
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建造所 | 新アドミラルティ造船サンクトペテルブルク造船所 |
1900年10月15日~1901年4月12日 | サンクトペテルブルクからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1904年2月8日~2月9日 | ポート・アーサー在泊中、日艦隊の攻撃を受け被弾、損傷 |
1904年6月23日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港するも日艦隊と遭遇し中止 |
1904年7月9日 | ポート・アーサー港外で日艦隊と交戦するも損傷なし |
1904年8月10日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港し日艦隊と交戦(黄海海戦)、被弾損傷 |
~1904年8月末 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年10月7日 | 日軍の重砲攻撃を受けるも損傷なし |
1904年12月5日 | 日軍の重砲攻撃により被弾、大破着底 |
1905年5月~7月22日 | 日本側により浮揚作業が実施される。のち舞鶴に曳航され修理及び改装工事(機関換装等)を実施 |
1905年8月22日 | 日本軍艦籍に編入され、丹後 Tangoに改名 |
1907年11月 | 舞鶴海軍工廠から横須賀海軍工廠に回航され、残工事を実施 |
1911年 | 修理完了し再就役 |
1912年 | 一等海防艦に類別変更 |
1916年4月4日 | ウラジオストクに回航 |
1916年4月5日 | 除籍。ロシアに返還されチェスマ Chesmaに改名 |
1916年7月2日~9月19日 | ウラジオストクからポートサイド(スエズ運河北口)に回航 |
1916年9月 | ギリシャ沖に回航され、ギリシャ進駐を支援 |
1916年12月5日~1917年1月 | キャメル・レアード社バーケンヘッド造船所(イギリス)にて修理 |
~1917年1月16日 | アレクサンドロフスクに回航 |
1917年2月3日 | 白海艦隊に編入 |
1918年10月 | 英軍のムルマンスク占領により同軍に接収される |
1920年3月 | 赤軍のムルマンスク占領により同軍に接収される |
1921年6月16日 | アルハンゲリスクに回航 |
1924年7月3日 | 除籍。のち解体 |
3.セヴァストポリ Sevastopol
起工:1892年5月19日 進水:1895年6月1日 竣工:1899年Севастополь |
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建造所 | ガレルニ島造船所 (サンクトペテルブルク) |
1900年10月15日~1901年4月12日 | サンクトペテルブルクからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1904年2月8日~2月9日 | ポート・アーサー在泊中、日艦隊の攻撃を受け被弾、損傷 |
1904年3月26日 | ポート・アーサー港外にて戦艦ペレスウェートと衝突、損傷 |
~1904年5月 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年8月10日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港し日艦隊と交戦(黄海海戦)、被弾損傷 |
~1904年8月末 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年8月23日 | ポート・アーサー港外にて触雷、損傷 |
1904年12月18日 | ポート・アーサー港外にて日魚雷艇部隊の攻撃を受け被雷、損傷 |
1905年1月2日 | ポート・アーサー港外にて自沈 |
最終更新日:2023/12/29 17:36