1.クールベ Courbet
起工:1910年9月1日 進水:1911年9月23日 竣工:1913年11月19日 |
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建造所 | ロリアン海軍工廠 |
1914年8月2日~8月7日 | WW1開戦に伴い、南フランス~北アフリカ間の船団護衛に従事 |
1914年8月12日~ | オーストリア・ハンガリーの参戦に伴い、アドリア海方面に回航。ナヴァリノ湾を泊地として活動 |
1914年8月16日 | アンティヴァリ沖海戦においてオーストリア防護巡洋艦ツェンタを撃沈 |
~1914年12月末 | イタリア~ギリシャ間の哨戒任務に従事 |
1915年1月11日~1月14日 | オーストリア艦隊の迎撃のため、イオニア海に出撃 |
1915年5月23日 | イタリアの参戦により、ビゼルトに回航。のち対空火器設置工事を実施 |
1916年4月27日 | ケファロニア島に回航。以降オトラント海峡閉鎖作戦を支援 |
1917年初頭 | コルフ島に回航。以降は乗員及び燃料不足により活動せず |
1918年 | 観測気球運用能力を付与する改装工事を実施 |
1918年11月11日 | WW1終結後、トゥーロンに回航 |
1919年6月6日~1920年10月20日 | 予備艦 |
1922年 | 砲術練習艦となる |
1923年6月6日 | 火災事故により主罐を損傷。航行不能となる |
1923年7月9日~7月16日 | ラ・セーヌ・シュル・メール(トゥーロン近郊)にて修理兼近代化改装工事(主砲仰角引上げ、射撃指揮装置設置、機関換装等)を実施 |
1927年1月15日~1931年1月12日 | ラ・セーヌ・シュル・メールにて改装工事(射撃指揮装置換装、ノルマンディ級戦艦から機関移植等)を実施 |
1931年3月25日~6月 | 主機故障により修理 |
1931年~ | 砲術練習艦となる |
1937年4月1日~1938年9月19日 | トゥーロンにて改装工事(魚雷発射管撤去、対空火器増強等)を実施 |
1940年5月21日 | 実戦部隊に編入され、シェルブールに回航 |
1940年6月19日~6月20日 | シェルブールに進撃中の独装甲師団に対し艦砲射撃を実施。6月20日に英ポーツマスに回航 |
1940年7月3日 | イギリスにより抑留 |
1940年7月10日 | 自由フランス軍に移管され。以降ポーツマス港の防空任務に従事 |
1941年3月31日 | 武装解除。以降宿泊船として使用 |
1943年5月23日~12月 | ストリーヴェン湖(スコットランド)に回航され、"ハイボール"反跳爆弾の実艦標的として使用され損傷 |
~1944年6月 | 補給船及び標的艦として使用される。ノルマンディー上陸作戦において人工防波堤として使用するため、機関を撤去し艦内にコンクリートを充填する工事を実施 |
1944年6月7日~6月9日 | ノルマンディー上陸作戦において、タグボート2隻に曳航されウェイマスからソードビーチに移動。オルヌ河口にて自沈処分。自沈後、独"ネガー"潜航艇の攻撃を受け損傷 |
1945年5月~1970年 | 同地にて解体 |
2.ジャン・バール Jean Bart
起工:1910年11月15日 進水:1911年9月22日 竣工:1913年9月2日 |
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建造所 | ブレスト海軍工廠 |
1914年7月16日~7月29日 | ポアカレ大統領訪ロの随行艦としてクロンシュタット、ストックホルムを訪問。その後コペンハーゲン行きを予定するも国際情勢悪化により取り止め帰国。ダンケルクに回航 |
1914年8月2日~8月7日 | ブレストからトゥーロンに回航 |
1914年8月12日~ | オーストリア・ハンガリーの参戦に伴い、アドリア海方面に回航。ナヴァリノ湾を泊地として活動 |
1914年8月16日 | アンティヴァリ沖海戦においてオーストリア防護巡洋艦ツェンタを撃沈 |
~1914年12月21日 | イタリア~ギリシャ間の哨戒任務に従事 |
1914年12月21日 | サザン島沖にてオーストリア潜水艦U-12の攻撃を受け被雷、中破 |
1914年12月26日~1915年4月3日 | マルタにて修理 |
1915年5月23日~ | イタリアの参戦により、ビゼルトに回航。のち対空火器設置工事を実施 |
1916年4月27日 | ケファロニア島に回航。以降オトラント海峡閉鎖作戦を支援 |
1917年初頭 | コルフ島に回航。以降は乗員及び燃料不足により活動せず |
1918年10月30日 | コンスタンティノープル進駐に参加 |
1919年4月16日 | 白ロシア軍占領下のセヴァストポリに回航され、赤軍に対して艦砲射撃を実施 |
1919年4月19日 | 抗命事件が発生。数日後に鎮圧 |
~1919年7月1日 | トゥーロンに回航。以降予備艦となる |
1920年7月20日 | 現役に復帰 |
1923年10月12日~1925年1月29日 | トゥーロン海軍工廠にて近代化改装工事(主砲仰角引上げ、射撃指揮装置設置、機関換装等)を実施 |
1927年8月12日~9月1日 | トゥーロン海軍工廠にて改装工事を実施 |
1929年8月7日~1931年9月29日 | トゥーロン海軍工廠にて改装工事(射撃指揮装置換装、ノルマンディ級戦艦から機関移植等)を実施 |
1932年8月6日 | トゥーロン港内にて駆逐艦フォルトーネと衝突、損傷 |
1932年8月8日~8月15日 | トゥーロンにて修理 |
1935年8月15日~ | 状態不良により宿泊船として使用される |
1937年1月1日 | オセアン Océanに改名 |
1942年11月27日 | トゥーロンにて無傷でドイツ軍により鹵獲される |
1943年後半~1944年 | ドイツ軍により"ミステル"無線誘導ミサイル用の新型成形炸薬弾頭の実験艦として使用され、損傷 |
1944年3月7日 | トゥーロンにて連合軍機の攻撃を受け被爆、大破着底 |
1945年12月14日 | 浮揚。のちスクラップとして売却後、解体 |
3.パリ Paris
起工:1911年11月10日 進水:1912年9月28日 竣工:1914年8月1日 |
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建造所 | 地中海造船社ラ・セーヌ造船所 |
1914年8月2日~8月7日 | ブレストからトゥーロンに回航 |
1914年10月21日~12月末 | イタリア~ギリシャ間の哨戒任務に従事 |
1915年1月11日~1月14日 | オーストリア艦隊の迎撃のため、イオニア海に出撃 |
1915年5月23日 | イタリアの参戦により、ビゼルトに回航。のち対空火器設置工事を実施 |
1916年4月27日 | ケファロニア島に回航。以降オトラント海峡閉鎖作戦を支援 |
1917年初頭 | コルフ島に回航。以降は乗員及び燃料不足により活動せず |
1918年12月12日~1919年3月25日 | プーラ進駐に参加 |
1919年5月~6月 | ギリシャのイズミール進駐を支援 |
~1919年6月30日 | トゥーロンに回航 |
1922年6月27日 | トゥーロン港内にて駆逐艦ブークリエと衝突、損傷 |
1922年10月25日~1923年11月25日 | ブレスト海軍工廠にて近代化改装工事(主砲仰角引上げ、射撃指揮装置設置、機関換装等)を実施 |
1925年夏 | 第三次リーフ戦争に参加。陸上砲台と交戦し被弾、小破 |
1927年8月16日~1929年1月15日 | トゥーロン海軍工廠にて改装工事(射撃指揮装置換装、対空火器増強工事)を実施 |
1934年7月1日 1935年5月21日 |
トゥーロン海軍工廠にて改装工事(射撃指揮装置換装、対空火器増強工事)を実施 |
~1940年 | 砲術練習艦となる |
1940年5月11日 | 実戦部隊に編入され、シェルブールに回航 |
1940年6月6日~11日 | ル・アーブル沖に出撃し、ソンム周辺を進撃中の独装甲師団に艦砲射撃。6月11日に独軍機の攻撃を受け被爆、損傷 |
1940年6月11日~6月14日 | シェルブールにて修理 |
1940年6月14日 | シェルブールからブレストに回航 |
1940年6月18日 | ブレストから英プリマスに約2,800名を乗船させ回航 |
1940年7月3日 | プリマスにてイギリスにより抑留される。以降ポーランド軍の宿泊艦として使用 |
1945年8月21日 | プリマスからブレストに回航。以降宿泊船として使用 |
1955年12月21日 | スクラップとして売却後、解体 |
4.フランス France
起工:1911年11月30日 進水:1912年11月7日 竣工:1914年7月15日 |
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建造所 | ロワール造船社サン・ナゼール造船所 |
1914年7月16日~7月29日 | ポアカレ大統領訪ロの座乗艦としてクロンシュタット、ストックホルムを訪問。その後コペンハーゲン行きを予定するも国際情勢悪化により取り止め帰国。ダンケルクに回航 |
1914年8月2日~8月7日 | ブレストからトゥーロンに回航 |
1914年10月10日 | 正式に就役(地中海艦隊に編入) |
1914年10月21日~12月末 | イタリア~ギリシャ間の哨戒任務に従事 |
1915年1月11日~1月14日 | オーストリア艦隊の迎撃のため、イオニア海に出撃 |
1915年5月23日 | イタリアの参戦により、ビゼルトに回航。のち対空火器設置工事を実施 |
1916年4月27日 | ケファロニア島に回航。以降オトラント海峡閉鎖作戦を支援 |
1917年初頭 | コルフ島に回航。以降は乗員及び燃料不足により活動せず |
1918年10月30日 | コンスタンティノープル進駐に参加 |
1919年4月16日 | 白ロシア軍占領下のセヴァストポリに回航され、赤軍に対して艦砲射撃を実施 |
1919年4月19日 | 抗命事件が発生。数日後に鎮圧 |
1922年6月28日 | ヴィラフランス沖にて旧オーストリア戦艦プリンツ・オイゲンを標的とした砲撃訓練を実施し、同艦を撃沈 |
1922年7月18日~ | 国内諸港に寄港する航海訓練を実施 |
1922年8月25日~8月26日 | キブロン湾にて未知の暗礁に座礁し機関室に浸水、横転沈没 |
1935年~1958年 | 同所にて解体 |
最終更新日:2023/12/29 17:35