1.ペレスウェート Peresviet
起工:1895年11月21日 進水:1898年5月19日 竣工:1901年8月Пересвет |
|
建造所 | バルチック造船サンクトペテルブルク造船所 |
1901年10月~ | クロンシュタットからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1901年11月1日 | グレートベルト海峡(デンマーク)において座礁、損傷。回航は継続 |
1901年11月~12月 | トゥーロンに寄港し、入渠修理を実施 |
~1902年5月 | ポート・アーサーに到着 |
1902年9月~10月 | ウラジオストクにて修理 |
1904年2月8日~2月9日 | ポート・アーサー在泊中、日艦隊の攻撃を受けるも損傷なし |
1904年3月22日 | ポート・アーサー港外で日封鎖部隊に対し攻撃を実施 |
1904年3月26日 | ポート・アーサー港外にて戦艦セヴァストポリと衝突、損傷 |
1904年6月23日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港するも日艦隊と遭遇し中止 |
1905年7月28日 | ポート・アーサー港内から旅順攻囲中の日軍に対し艦砲射撃を実施 |
1904年8月10日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港し日艦隊と交戦(黄海海戦)、被弾損傷 |
~1904年9月末 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年9月30日~10月 | 日軍の重砲攻撃により被弾、損傷 |
1904年12月7日 | ポート・アーサー港内にて自沈 |
1905年5月15日~6月29日 | 日本側により浮揚作業を実施。のち自力航行で佐世保に回航 |
1905年8月25日 | 佐世保海軍工廠にて修理及び改装工事(上部構造物軽量化等)を開始。日本艦籍に編入され、相模 Sagami に改名 |
1908年7月20日 | 修理完了 |
1912年8月28日 | 一等海防艦に類別変更 |
1916年3月 | ロシアへの売却が決定される |
1916年4月3日 | 除籍 |
1916年4月5日 | ウラジオストクにてロシアに引渡され、ペレスウェートに再改名 |
1916年5月23日 | ウラジオストク港外にて座礁、損傷。のち日海軍により離礁作業が行われる |
1916年7月30日~10月 | 舞鶴海軍工廠にて修理 |
1916年10月18日~ | 白海艦隊への編入のため、欧州へ回航される |
1917年1月4日 | ポートサイド(スエズ運河北口)北方約10nmにて触雷、沈没 |
2.オスラビア Osliabia
起工:1895年11月21日 進水:1898年11月8日 竣工:1903年半ばОслябя |
|
建造所 | 新アドミラルティ造船サンクトペテルブルク造船所 |
1903年8月7日~ | クロンシュタットからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1903年8月21日 | ジブラルタル海峡にて座礁、損傷 |
~1903年11月 | アルジェ(仏領アルジェリア)及びラ・スペツィア(イタリア)にて修理。のちポート・アーサーへの回航を再開 |
1904年2月12日~4月 | 日露戦争開戦に伴い回航が中止となり、サンクトペテルブルクへ回航 |
1904年4月~9月 | 修理及び改装工事(測距儀搭載工事等)を実施 |
1904年10月12日~ | 第二太平洋艦隊第二戦艦戦隊旗艦としてクロンシュタットからウラジオストクに回航 |
1905年5月27日 | 日本海海戦に参加。日艦隊と交戦し被弾、沈没 |
3.ポベーダ Pobieda
起工:1898年8月1日 進水:1900年5月24日 竣工:1902年10月Победа |
|
建造所 | バルチック造船サンクトペテルブルク造船所 |
1902年11月13日~1903年6月13日 | リバウからポート・アーサー(旅順、清国)に回航 |
1904年2月8日~2月9日 | ポート・アーサー在泊中、日艦隊の攻撃を受け被弾、損傷 |
1904年3月22日 | ポート・アーサー港外で日封鎖部隊に対し攻撃を実施 |
1904年3月26日 | ポート・アーサー港外にて戦艦セヴァストポリと衝突、損傷 |
1904年4月13日 | ポート・アーサー港外にて触雷、損傷 |
~1904年6月9日 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年6月23日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港するも日艦隊と遭遇し中止 |
1905年7月28日 | ポート・アーサー港内から旅順攻囲中の日軍に対し艦砲射撃を実施 |
1904年8月10日 | ポート・アーサーからウラジオストクに向け出港し日艦隊と交戦(黄海海戦)、被弾損傷 |
~1904年8月末 | ポート・アーサーにて修理 |
1904年9月28日~10月 | 日軍の重砲攻撃により被弾、損傷 |
1904年12月7日 | 日軍の重砲攻撃により被弾、大破着底 |
1905年5月~10月17日 | 日本側により浮揚作業を実施 |
1905年10月25日 | 日本艦籍に編入され、周防 Suou に改名 |
1906年5月~1908年10月10日 | 横須賀海軍工廠にて修理及び改装工事(上部構造物軽量化等)を実施 |
1912年8月28日 | 一等海防艦に類別変更 |
1914年10月~11月 | 青島攻略を支援 |
1916年~ | 砲術練習艦として使用される |
1922年4月11日 | 除籍。のち解体作業に着手 |
1922年7月13日 | 装甲撤去作業中、艦内浸水により転覆 |
1922年9月25日 | 浮揚。のち三ツ子島にて港湾用の護岸に転用され埋立 |
最終更新日:2023/12/29 17:36